子育て・保育の原点は、産まれてきた子どもの保護と自立までの親と社会の責任

産まれてきた子どもには
元々、自分が産まれてきたい、だれかと誰かの子どもになりたい
という誕生目的・誕生意志があったわけではありません。

まさに
英語では受け身 I was born.産まされて、人生のスタートを切ったわけです。

そして残念なことに
産まれたばかりの人間の赤ん坊は、すぐに自立・自活ができない。
自分の意志と能力で、自立して、自活できるようになるまで、
猶予期間を認められ、与えられて、成長を育まれていく・・・。

モラトリアム=猶予の期間を誰もが持ちます。
その期間を支え、その保護と教育の責任を果たすのが、まず子の親、そして社会。
こういう構図には、現代社会において、ほぼ異存はないかと思います。

もちろん文明や宗教の現状から、そうとは決められない、そうではない地域社会や
宗教社会があるかもしれません。

しかし当然
子の親は、子どもの養育・教育だけのために生きているわけではなく
また社会も、子どもの保育や教育目的だけのためにあるわけではありませんね。

親にとっての人生があるのと同じく
子にとっての人生も、特に親離れしてからの、自立してからの人生がある。
あるいは、成人して移行の親との関係や、親と一緒の生活もある。

そしてもちろん
自立した成人として、結婚し、親となり
自分と自分の親との関係と同様の、自分と自分の子との親子関係を、
自身の人生の中で形成し、作り上げ、維持し、変化させ、消滅させていく・・・。

一方
結婚するかしないかは自由であり
子どもを持つか持たないかも自由。
どちらかを選択する権利を持ちます。

また
結婚しても、しなくても
子どもは欲しくない、持ちたくないという成人も多い・・・。
子どもを持つ、持たないの選択権も持つ・・・。

でも
どんな経緯であれ
できた子ども、産んだ子ども、産まれてきた子どもの命は守り
生を育み、養育し、教育していく責任を親は果たさなければいけない。

 

 

法律で規定するからでなく
倫理道徳で定めることでもなく
人間という動物の本能としてでもなく、
性交・妊娠・出産・育児という行為を、本能と理性とに基いて成し遂げる
ホモサピエンス=知恵のある人、として・・・。

そして、親自身が
地域や仕事や地方自治や家族・友人・知人などで構成し関係する種々の社会
の一員であるがゆえに
子どもの保育・育成に、社会も関わり、支援する責任を持つ・・・。

議論、好き嫌いの余地がない人が生きていく上での社会規範の一つなのです。
親と子の異なる世代の継承を、子育て・保育活動を通して行っていきます。

少子化対策の重点課題として
子育て・保育政策が真っ先に取り上げられるのは当然なのですが
当たり前の親の責任の遂行を、社会や政治が支援する必要がある状態が
ある意味不自然、異常と考えるべきではないかと感じることがあります。

仕事が無い、賃金が安い、暮らしが大変
ひとり親、母子家庭問題
育児・子育てへの不安・・・。

問題が多様化・多層化・複雑化して
親、父母単独では対応できない社会になってしまっている・・・。

憂うべきことですが
社会として取り組むべきことは明らかです。

この課題は
問題先進国だから存在するという性質のものではないような気もします。

 

元々は
気持ちの持ち方、責任の感じ方の問題であり
その責任の果たし方という個々人のレベルの問題。
親として、人として、子どもを持ち、育てる意識・決意・責任がまず初めにある・・・。

そのような主張には反対が多いかもしれません。

両親、個人、ひとりの力ではどうにもならない事情や要素・要因が存在する・・・。
そこで社会や地域、政治・自治体が担うべき課題・責任が論じられ
対策が打たれることになります。

妊活、保活、待機児童対策・・・
母子家庭支援、生活保護対策・・・

社会とは、世代を継承していく役割と機能と責務を持つもの。
行政と企業・民間の経済活動と連携して、次世代に引き継ぎ
次世代を形成していく子育て・保育の大切さ・・・。

同じようなことをクドクドと言ってしまいました。
まだまだこのブログに勢いがつかない状態から
できるだけ早く抜け出し
持続・継続して書いていけるよう慣らし運転中のことと
ご理解頂けるとありがたいです。

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