厳しい在宅介護で魔が差すことがないように必要な「間(ま)」を:『長生きしても報われない社会 在宅医療・介護の真実』から(5)

昨年2016年9月に発刊された
長生きしても報われない社会 ──在宅医療・介護の真実』(山岡淳一郎氏著)
を用い、在宅介護と在宅医療について考えるシリーズを新しい年、始めています。

「第1章 在宅医療の光と影」

第1回:「看取り」でなく「あやめる」情動へ。在宅介護がもたらす社会病理?
第2回:愛情の在り方がもたらす在宅介護殺人事件
第3回:在宅介護政策が孕む介護苦殺人・心中事件リスク
第4回:「認知症の人と家族の会」をご存知ですか

今回は、その第5回です。

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 残された家族への思いが歯止めに
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59歳の女性が一家の大黒柱として仕事と介護に全力を傾けていた。家族は15年間入退院を繰
り返す65歳の夫と長女、長男。そして認知症の92歳の実母と、その連れ合いの84歳の義父だ。
 子どもたちが幼く、母親をもとめている時期に、女性は実母の徘徊や問題行動に振り回され
た。義父は認知症を理解できず、実母を怒鳴る。実母の問題行動はさらにエスカレートする。
 そのような状況で「殺したい」という感情がふつふつとわき上がった。

(中略)

 殺したいという情動を抑えられたのは、娘と息子、夫への愛情だった。厳しい状態を乗り切
った女性は次のように記す。
「今、義父を殺さなくて、いや殺せなくてよかった。母には、寝たきりでも一日でも長生きし
てほしい、と願う私です。娘や息子に罪人のレッテルが貼られなくてよかった。夫の看病も私
が同居してできてよかった。罪人になれば夫の看病もできずにいたろう・・・・とつくづく思
っています。
 残された家族への思いが歯止めになっている。

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 被介護者の「生きたい」という声
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介護する相手に「一緒に死のう」と声をかけたときの反応でハタと我に返って思いとどまっ
た例も多い。
 埼玉県で暮らす59歳の女性は、夫が50代前半で「若年性アルツハイマー」を発症してから
在宅介護をしている。発症して5、6年目が一番辛く、「殺して」自分も一緒に「らくになりた
い」とばかり考えていた。
「二人で一泊の旅行に行きました。とても景色もよく『おとうさん「らくになりたいね・・』。
その言葉に『おれヤダ・・・』。本人はもっとつらかったでしょうに・・・・。それは改めて
いっしょに生きようと心に決めた一言でした

(中略)

 ぎりぎりで「生きたい」という本人の意思が介護者を「正気」に戻している。


 

次回、<ふとした他人の言葉で思いとどまる> に続きます。

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殺人者。
冷たい言葉です。
もし、家族が残されたなら・・・。
それが自立していない子どもであったり、ケアが必要な家族である場合・・・。
そこで思いとどまる・・・。

家族であるがゆえに、意思疎通が図れないことに対する思いが逆流する。
それどころか、他人のように責められ、かろうじて堪えていた思いが切れかかる。
愛情が、憎悪に切り替わる。

人ゆえに・・・。
十分ありうること、決して責められないこと・・・。

在宅介護には、それ相当の覚悟が必要です。
最悪のレベル、状態をイメージできるか。
自分よりもひどい状態にある事例を知っているか。
慰めにはならないかもしれませんが、想像できる、例として知っている最悪のケース
に比べて、自分の場合はまだマシ!
そう考え、受け止めることができることも、少しは役に立つかもしれません。

直情的な思い、衝動を、少しずらしてみる。

前回紹介したように、だれかに聴いてもらえれば、切り替える「間」を持つことができる。

最悪よりもひどい最悪を想像でき、それよりも今は、私は、まだまだ・・・。
「間(ま)」をつくる、持つ・・・。
そんな余裕などない!
そう考えることも「間」のひとつ。
「間」を大切にしたい・・・。
「魔」がさす前に、「魔」がささないように「間」を!
ほんの一瞬の「間」が「魔」を消し去ってくれる・・・。

 

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長生きしても報われない社会 ──在宅医療・介護の真実』構成
はじめに
第1章 在宅医療の光と影
第2章 亡くなる場所が選べない
第3章 認知症と共に生きる
第4章 誰のための地域包括ケアなのか
第5章 資本に食われる医療
おわりに

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【山岡淳一郎氏・プロフィール】
◆1959年愛媛県生まれ、ノンフィクション作家、東京富士大学客員教授
◆「人と時代」「21世紀の公と私」を共通テーマに近現代史、政治、医療、
建築など分野を越えて旺盛に執筆。時事番組の司会も務める。
◆著書:『原発と権力: 戦後から辿る支配者の系譜
インフラの呪縛: 公共事業はなぜ迷走するのか』『気骨: 経営者 土光敏夫の闘い

国民皆保険が危ない』『後藤新平 日本の羅針盤となった男
田中角栄の資源戦争』『医療のこと、もっと知ってほしい』他多数。


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足掛け2年にわたってシリーズ化し、昨年末に紹介を終えたのが
在宅介護――「自分で選ぶ」視点から』(結城康博氏著)

本書のサブタイトルに、後者はタイトル自体に「在宅介護」という用語が用いられています。

政府・厚労省の介護政策において置く<在宅介護主義>。
これに非常に疑問を持つ私です。

今回の書では、在宅医療も在宅介護と一体のものとして考えることを基本としており、それ
は当然のこと。
とすると、一層在宅での老後生活と看取りについての困難さが浮き彫りにされます。
そのためということでしょうか。
長生きしても報われない」という悲観的なタイトルが付いた本書。

が、「長生きすればみな報われるべきなのか?」、「報われるとはどういうことなのか?」。
このタイトルを目にしたとき、率直に第一に抱いたのが、この疑問でした。

お叱りを承知で、根源的なこの疑問を抱きつつ、加えて、先に述べた、在宅介護・医療に限
界とその政策への疑問をベースに、このシリーズを続けていきます。

「『在宅介護』から」シリーズ

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本書をシリーズ化する前に、昨年もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない
という書を紹介しつつ老後・介護・最期を考えるシリーズを投稿してきました。
その内容と、今回の『長生きしても報われない社会 ──在宅医療・介護の真実』のここまでの
展開の内容とニュアンスが類似しています。
新シリーズの方は、これから実際の医療・介護事例が具体的に数多く取り上げられるので、
実際にはまったく異質な書です。

『もう親を捨てるしかない』シリーズも今月から再開し、第3章に入っていく予定です。
並行して、見て頂ければと思います。

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