高齢者は、主観とエゴでなく客観と社会性をもつ暮らしを:『おひとりさまの最期』から(7)

昨年2015年11月末に発売された上野千鶴子さんによる
おひとりさまの最期』。
本書を少しずつ紹介しながら、介護や医療と向き合うことが避けられない
高齢者の、人生の終末期に向かっての生き方、暮らし方、そして次の世代
への橋渡しなどについて考えていくことにします。


極力、原文を転載し、わたしの感じたところをメモ書きしていくスタイル
で進めていきます。
第1回塊世代の高齢化プロセス・おひとりさま化プロセスの違い
第2回ライフステージに必須のおひとりさまステージと予備軍ステージ
第3回:止めようもない「おひとりさま」急増社会
第4回:「子との同居」は余計はお世話
第5回:超高齢社会で日常化した高齢逆縁、離別等おひとりさま形態の多様化
第6回:孤独・孤立背中合わせの高齢者の貧困独居生活

今回は、第7回です。

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 1.み~んなおひとりさま時代の到来(7)
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<孤立と孤独>

ところで孤立と孤独とは同じでしょうか?
おひとりさまは孤立しているだけでなく、孤独なのでしょうか?
河合さんは1995年の調査から「衝撃の自由回答」を紹介しています。

 一人暮らしは淋しい、泣きたいほどに悲しいと思います。75歳になると
 身にしみます。娘1人、孫1人いますが、忙しそうなのでなかなか会え
 ません。でも月3回くらいは会います。だれかいっしょに住めるような
 人がいればいいと思いますが、思うようになりません。精神的に気がは
 っているので疲れます。身も心も寄りかかりたい人が欲しいと思います。
 男の子を亡くしましたので息子が欲しいとつくづく思います。70歳の時
 に脳血栓をやり、その後また3回も倒れましたので心配です。毎日毎日
 が心配で心休む時がありません。色々と考えますと頭がしびれて来ます。
 うつ病になったように思います。どうすればよいでしょうか。助けてく
 ださい。

河合さんはこの自由回答を紹介したあと、「この方が娘さんと月3回ほど
会っており、家族の支えという点では客観的に一定以上の生活条件をもっ
ていると言えるのではないか」という「考えをもつに至った」と述べてい
ます。

たしかに娘も孫もいて月に3回会ってりゃ、それでじゅうぶんじゃないの、
ともいえます。
娘にすれば、がんばって月に3回も会いに行っているのに、何の文句があ
るの、と言いたいかもしれません。
(と、この部分は、いろいろな主観での例えを述べていますので少し省略)

河合さんはこの女性に対する判定。

はたから見たらお幸せな方なんだから・・・・・ということですが、ご本人の
「淋しさ」は主観的なもの
客観条件を示されても解決できるとは思えません。

A紙で「悩みのるつぼ」という欄で身の上相談の回答者を務める上野さん。

こんな質問が来たら、いったいどう回答したらよいでしょう・・・・・

ひとり暮らしが「淋しい、悲しい」のは、夫を失ってまもないから?
この方はたぶんこれまでの人生で一人暮らしをしたことが一度もないので
しょうね。
「だれかいっしょに住めるような人がいればいい」と希望しておられます
が、よくあるのは姉妹との同居。
それだって実際に同居してみればトラブルが絶えないと思いますよ。
娘と孫との同居をのぞんでおられるようですが、実際に同居すれば娘のペ
ースに合わせなければならず、心休まる思いには遠いでしょう。
娘が同居を言い出さないのは、そうしないだけの理由があるからでしょう
し。
「身も心もよりかかりたい人が欲しい」とおっしゃいますが、寄りかから
れる側にしてみればまっぴらごめん、と逃げ出したいでしょう。
この方にとって夫はこういう存在だったのでしょうか、おとなの女ひとり
に「身も心も寄りかか」られるなんて、男性もごくろうさまなことです。

わたしなら、こう回答するでしょう-----

おひとり暮らし、時間が経てばそのうち慣れますよ。って。
どんな生活習慣だって慣れの産物。
そのうちひとりが気楽、同居人がいるとわずらわしい、と思うようになる
でしょう。
「色々と考えますと頭がしびれて」くるのは、思考停止のサイン。
考えてもしかたのないことは考えないようにしましょう。
まさかのことは、まさかのときになって考えましょう。
70歳で脳血栓。順調なところです。
加齢すればカラダは病気の巣。
だましだまし平和共存していくしかありません。
心配なら主治医と訪問看護師を確保して、いつでも連絡できるようにして
おきましょう。
それに「精神的に気がはっている」あいだは、ぼけ防止になりますよ・・・・。

データを見るかぎり、女おひとりさまは貧乏、男おひとりさまは孤立。
貧乏と孤立のダブルパンチならもっとたいへん。
老後がこうなら、最期はますます不安です。
ですが、これというのもこれまでの高齢者に家族頼みのシナリオしかなか
ったため。
それだからこそ、家族を失えばすべてを失う高齢者が多かったのです。
ですが、備えあれば憂いなし。
これから老後を経験するわたしたちは、現在の高齢者の背中を見ながら、
どうすればよいかを学べばよいのです。

次回から、「第2章 死の臨床の常識が変わった」に入ります。

34

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そうです。
「主観」なんです。
この主観から、多くの「エゴ」が生まれる・・・。
自分が自分の親にしたこともないことを、娘や息子に要求する・・・。
親の面倒を子どもが看るのは当然、と・・・。

昔の教えならば、「老いては子に従え」とあったはずなのに、そうした
旧来の教えは、まったく意に介さない・・・。
(介する必要はありませんが・・・)
介護の大変さを、介護経験がない高齢者が知らずに、自分には求める
・・・。
高齢逆縁で息子を失った女性も、お嫁さんが自分を介護するのが当たり
前のこととして、要求する、時に威張って・・・。
よく聞く話です。

自分ならばどうするか・・・。
そう考え、独りでも淋しさを感じない生き方、生活を送れるようにして
おきたい、おくべき・・・。
そう思います。

主観一辺倒の人生でなく、客観的にものごとを見て、判断できる人であ
りたい。

戦争を体験し、戦後間もない時期を生き抜いてきた方々の苦労は云々、
とよく言われます。
それはそれで、経験したことのない私たち団塊世代以降の人間にとって
は、大変なコトだったろうな、とある意味客観的にイメージすることが
できます。
しかし、自分の主観を一方的に子どもに押し付ける生き方には、多少な
りとも疑問を感じます。
それが、一つの社会性の問題ではないかと思います。

家族と言えども、日々の生活は、社会の中でのモノ、コトでもあります。
子どもたちの生活にも、別の社会があります。
親子の自立した存在間での共通の場と機会は、ほんの少し重なる程度。

高齢に至る前に、そうした社会性を客観的に身に付け、自身をその社会
に身を置く一員として、たとえ独りになっても暮らしていけるように・・・。
女性・男性変わりなく、大切なことと思います。

高齢者の社会性の欠如。
それを示す典型的な事象が、高齢者が被害者となる「特殊詐欺」事件。
介護にはまったく無関係の(ような)ことですが、なぜかどこかでつな
がっているような気がするのです。

2

次回、「第2章 死の臨床の常識が変わった」の第1回
<ひとり死は孤独死ではない> です

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-『おひとりさまの最期』構成-
1.み~んなおひとりさま時代の到来
2.死の臨床の常識が変わった
3.在宅死への誘導?
4.高齢者は在宅弱者か?
5.在宅ホスピスの実践
6.在宅死の条件
7.在宅ひとり死の抵抗勢力
8.在宅ひとり死の現場から
9.ホームホスピスの試み
10.看取り士の役目
11.看取りをマネージメントする
12.認知症になっても最期まで在宅で
13.意思決定を誰にゆだねるか?
14.離れている家族はどうすればよいのか?
15.死の自己決定は可能か?
16.死にゆくひとはさみしいか?

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