看取りが介護職員の達成感にもなる介護施設での最期:『おひとりさまの最期』から(19)

おひとりさまの最期上野千鶴子さん著・2015/11/30刊)
本書を紹介しながら、介護や医療と向き合うことが避けられない高齢者の、
人生の終末期に向かっての生き方、暮らし方、そして次の世代への橋渡し
などについて考えるシリーズです。

「第3章 在宅死への誘導」
第15回:社会学者の社会責任論の一面性・一義性への疑問
第16回:自分のサイフを持つようになった年金受給高齢者。年金制度の現状を確認
第17回:認知症高齢者は、患者か、要介護者か。かかりつけ医も意味不明の医療・介護一括法
第18回:医療・介護から考える高齢者の社会性と往生際?

今回は第3章の第5回、通算第19回です。

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 3.在宅死への誘導?(5)
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施設は看取りの場ではない

 それなら施設で看取ってもらえるのでしょうか?
もともと施設は看取りの場ではありませんでした。
老健には医者がいますが、特養には医療の体制がなく、末期には病院にかつぎ
こむ、のがこれまでの常識でした。
特養を経営している社会福祉法人の多くは、同じ地域の医療法人から派生して
生まれたり、提携していることが多く、末期は提携病院に入院させて診療収入を
あげる・・・・・とかんぐりたくなるケースもないわけではありません。

老健だってほんらいは看取りの場ではなく、病院から在宅復帰の移行期間。
だからこそ特養とちがって滞在期間は原則3カ月、おおむね3~6カ月を目安と
するようになっています。
が、現実が制度を追い越しつつあるのが現状。
一時滞在施設だったはずの老健が特養化して、出て行くところのない高齢者が
長期滞在するようになりました。
老健でも特養でも看取りが増えてきました。
重度の要介護者が増え、毎年二桁台の看取りを実践しているある良心的な老健
は、あろうことか地域から「あそこへ行くと殺される」とネガティブな噂を立て
られているのだとか。

老健だって特養だって、すすんで看取りをしたいわけではありません。
夜勤の職員は緊張しますし、つねより人手がかかります。
看取りが月に数件もあると、その分職員の負担が増えるのを承知で、高齢者の
平穏な最期のために、居室から動かさないまま、施設内看取りを実践しているの
です。

 2009年度からはようやくこういう現場の実践に、「看取り介護加算」がつく
ようになりました。
実践した職場では、職員の達成感が大きいと聞きました。
 これまで最末期にお年寄りを病院に送り出すことで、最期を看てこれなかった
職員さんたちが、ここまでお世話したあの方の最期を見届けたい、と意欲を示し
てくださるのだとか。

 病院では死は敗北ですが、高齢者施設では死はゴールであり、達成
 初期のころは死に直面した職員の心のケアが必要だとかいわれたこともありま
すが、死をネガティブに捉える必要がなければ、経験を積んだ職員たちは自信を
つけていきます。
 「かあさんの家」のようなホームホスピス(介護保険の枠外で運営する、高齢
者のグループリビングに看取りが伴った事業)を運営している代表の方の発言に
よれば、最初のころは「看取りに医者はいりません、訪問看護師がいればじゅう
ぶんです」とおっしゃっていたのが、最近では「看護師もいりません、看取りは
介護職だけでじゅうぶんできます」と変わりました。

 とはいっても、こういう事例はまだまだ少数の良心的なケースです。
 多くの施設は施設内の死に対して、家族からクレームをつけられることを怖れ
ています。
 最近になってようやく、家族とのあいだで、いよいよとなったらそのまま居室
でお看取りするか、それとも病院にお連れするか、あらかじめ同意を得るように
なってきました。
 このまま居室で、という家族の「同意」にも、できるだけ平穏な死を迎えさせ
てあげたいという親思いの動機だけでなく、病院の費用を払いたくないから何も
かも施設におまかせ、というネグレクトまで、ピンからキリ、なのですが。
 ですがここでも、たとえ動機が不純でも、結果がご本人にとってよければ、よ
しとしましょう。

 その点で困りものなのが「自立型」高齢者住宅や有料老人ホームです。
 すばらしい個室を確保したはずなのに、「要介護になったらどうなるのですか
?」とお尋ねすると、「大丈夫です、介護居室が用意してあります」とあって、
唖然とすることが少なくありません。
介護居室なるものを見てみると、狭い独房のような部屋にベッドが置いてある
だけだったり。
 看護師は常駐しているいかもしれませんが、自分の住み慣れた居室からは移動
しなければなりません。
 これではいったい何のために高い金を払って快適な居室を確保したのか、わか
りません。

 そういう施設に入居するときには、かならず、「自分の居室で最期まで看取り
をしてもらえますか?」と確認したほうがよさそうです。
 が、それなら追加のサービス料がかかります。
 となれば、三途の川もカネしだい。
 死ぬためには死ぬための費用がかかる、と覚悟しておく必要があります。
 元気なときの目で施設を選んではならない、という教訓です。

 サービスつき高齢者住宅での死は、在宅死に含まれます。
 それも含めて在宅死は横ばいのままなかなか増えませんが、施設看取りは徐々
に増えています。
それも高齢化と重度化にともなう、施設入居の長期化がもたらした現場の対応
の変化のおかげです。
 施設も、もう「うちでは看取りはしません」とは言っていられなくなりました。  

 

重ね手
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 わたし自身、重度の要介護状態になれば(経済的に可能ならば)居住型の介護
施設に入り、そこを終の棲家、最期の場にしたいと考えています。
文中にあるように、そこが自宅と考えてのことです。

 出張が多かったことから、ホテルで何泊もすることがどちらかというと好きで
したし、自室替わりの感覚で利用することも多かったので、高齢になっても、ネ
ット環境があればどこでも自宅・自室・・・。

自宅から出たことがなかった高齢の方が、自宅・在宅にこだわる気持ちは、分
からないではないですが・・・。

しかし、長くお世話した入居高齢者の最期を看取ることが、介護職員の方々の
達成感に繋がる、というのは、意外というよりも、なるほど!という感じですね。

重病の方々を看取るのが日常である看護師の方々の受け止め方と、似ている部
分と似ていない部分があるかな、とも思います。

わたしの義母が入居するサ高住。
隣接する医院の医師が経営するこの施設は、看取りもするということが「ウリ」
のひとつです。
施設名の一部に、(ホスピスではなく)「ホスピル」と入れていることに、その
方針が表れています。

独居高齢者や高齢者夫婦が増えれば、やはり自ずと施設での看取りが増えていき
ます。
施設が終の棲家として、高齢者にとって心地よい、安心の居室となるように。
そう思います。

シニア組手

次回は<施設はこれ以上増やさない に続きます

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-『おひとりさまの最期』構成-
1.み~んなおひとりさま時代の到来
2.死の臨床の常識が変わった
3.在宅死への誘導?
4.高齢者は在宅弱者か?
5.在宅ホスピスの実践
6.在宅死の条件
7.在宅ひとり死の抵抗勢力
8.在宅ひとり死の現場から
9.ホームホスピスの試み
10.看取り士の役目
11.看取りをマネージメントする
12.認知症になっても最期まで在宅で
13.意思決定を誰にゆだねるか?
14.離れている家族はどうすればよいのか?
15.死の自己決定は可能か?
16.死にゆくひとはさみしいか?

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(投稿済みブログリスト)
「第1章 み~んなおひとりさま時代の到来」

第1回:
塊世代の高齢化プロセス・おひとりさま化プロセスの違い
第2回:ライフステージに必須のおひとりさまステージと予備軍ステージ
第3回:止めようもない「おひとりさま」急増社会
第4回:「子との同居」は余計はお世話
第5回:「超高齢社会で日常化した高齢逆縁、離別等おひとりさま形態の多様化
第6回:孤独・孤立背中合わせの高齢者の貧困独居生活
第7回:高齢者は、主観とエゴでなく客観と社会性をもつ暮らしを

「第2章 死の臨床の常識が変わった」
第8回:看取り、看取られ。悔いのないよう日々大切に
第9回:施設看取りの環境・状況の現実は?
第10回:死の臨床のあり方を自ら決めることができたらどうしますか?
第11回:嫁にとっての強制労働「選べない介護」と在宅介護の変化
第12回:救急病棟、ホスピス病棟、在宅ホスピス。臨床死のあり方を選択する終活?
第13回:老衰死させなくなった、しなくなった時代?
第14回:関連図書の変遷から見る、医療・看護・介護からの死の臨床


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(本書で紹介された参考図書)





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