在宅介護で徘徊問題や認知症問題は解決可能か? :認知症社会における介護(2) 

認知症の人が起こした列車事故を巡り介護家族に賠償責任はないとする
最高裁判決が出て、もう2カ月以上経ちます。

その直後、2016/3/20付日経の【創論】というコラムで、判決を受けて、2人の
専門家に対するインタビューが掲載されました。

前回,そのひとつ、医療介護福祉政策研究フォーラム中村秀一理事長へのインタ
ビューを
自己責任と介護行政の在り方を考える:認知症社会における介護(1)
として紹介。

今回は、もうひとつ、「在宅強調は苦痛与える」と題した
家族の悩みをすくい上げてきた団体認知症の人と家族の会>代表理事・
高見国生氏へのインタビューを、聞き手のまとめと合わせて紹介します。

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Q1:最高裁判決をどう受けとめたか?

 「良かったの一言に尽きる。できる限りの介護をしていれば家族は責任を問わ
れないという判決だと解釈している。こうした争いはこれまで示談で終わってい
た。一生懸命介護しても、事件が起きて『あんたのせいだ』といわれれば家族は
『そうじゃない』と言いにくいからだ」

Q2:だれが損害補償をすべきか?

 「鉄道事故に限っては社会的な救済制度が必要だ。認知症の人の徘徊は家族で
は防げない。でも鉄道会社も認知症の人がいっさい線路に入らないようにはでき
ないだろう。犯罪被害者救済制度のようなものを国がつくってほしい民間の保
険では個人の負担になってしまう

Q3:ご自身も養母の介護を8年されました。

 「有吉佐和子さんの『恍惚の人』という本がヒットした1970年ごろだった。
本で認知症患者はおどろおどろしい老人として描かれ、家族は塗炭の苦しみを味
わうイメージだった。今と違って物忘れなどの段階ではなんの対応もしなかった。
私がびっくりしたのは廊下に大便が落ちていたとき。そこでやっと病院にいく。
行っても医者もなすすべがない。そんな時代だった」

Q4:社会の意識はいつごろから大きく変わったか?

 「やっぱり画期的だったのは2000年の介護保険制度の開始だ。家族の責任だっ
た介護が社会的なものになった。04年に日本で開いた国際会議では、初めて認知
症の人が自ら『治りたい』『妻に恩返ししたい』『働きたい』などと語った。
それまで認知症になると何もわからない人になると思われていたので衝撃だった。
そこから本人の気持ちを聞こう、ということになって今へとつながっている

Q5:政府は施設の活用から在宅介護に軸足を移そうとしている。可能か?

 「在宅介護をしたい人にはそうできるようすればいい。でも強制すべきではない
在宅で暮らしたくない人もいるし、暮らせない人もいる。今の議論は介護する人や、
される人の尊厳より、財源的に見合った福祉の点から推進されているようで、かな
り懐疑的に思っている」

 「家族はできれば家でみたいと基本的に思っている。施設に入れた家族は、もっ
と頑張れなかったのかと悲しむことが多い。在宅介護を強調すると家族は精神的に
追い詰められる。在宅でもいいし、施設もありますよと言ったほうが在宅介護も長
く続く」

Q6:在宅介護を支える家族の状況も変わった。

 「家族の会の会員でも、20年前には独り暮らしはいなかった。みんな家族が多か
った。今は独り暮らしと2人暮らしで半分を占める。5人家族で1人介護するのと、
2人家族で1人介護するのとでは負担が全然違う。その2人家族も60代と80代だっ
たりする。家族の介護力が弱くなっているのにサービスの量は増えていない。そこ
に在宅介護の難しさがある」

Q7:介護充実は大事ですが財源問題も避けられません。

 「私たちがなにか要望するとすぐに『じゃあ保険料は上がっていいんですか』と
なる。でも国全体で無駄がないかみてほしい。公費をもっと入れるべきだ
高福祉・応分の負担』という提案もしている。福祉は充実した方がいい。大金
持ちにはもっと払ってもらいたいが、私たちも必要な負担はする」

Q8:だれでも認知症になる可能性があります。生きることに不安になります。

 「それは認知症に恐怖心があるから。それが間違っている。認知症の本人は少
しも人生が変わっていない。記憶がさかのぼっているだけだ。私も母親に
『どちらさん』と聞かれたときはすごくショックだった。でもそれは本人は
30年前に戻ってしまっているだけだ。大事なのは受け入れる地域や社会をつく
れるかどうか。福岡県大牟田市では地域で認知症患者を見守っている。そうした
取り組みが進んでいけば何にも怖くない」

Q9:でも家族はなかなか受け入れがたいのでは?

 「そうだね。やっぱり悲しさや怒りが第三者とは違う。尊敬していた親が変わっ
てしまったりするとつらい。いくら制度が充実しても家族の悲しみや悔しさはなく
ならない。そこを乗り越えるのはやっぱり仲間。そうやそうやと言い合える仲間
をつくってほしい

高見国生氏:京都府職員だった20~30代に約8年間、養母を在宅で介護。
1980年に「家族の会」結成に参加した。72歳。

老5

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<聞き手から> 財源含め全省庁で対策を

認知症の患者は急増していく。
団塊の世代が全員75歳以上になる2025年に700万人にのぼるという推計も。
2人の論者がともに指摘するように「認知症は誰もが関係する問題」となる。

 認知症への対策は医療や介護の観点のほかに、最高裁で争われた鉄道事故
のように多岐にわたる。
 だが、判決後の国会で海外の状況を問われた国土交通省幹部が「把握して
いない」と答えるなどどこか人ごとのような様子もある。
 調査から政策の立案、財源の手当ても含めて全省庁挙げての対策が必要に
なるだろう。

 安倍首相が介護のために離職させない「介護離職ゼロ」を掲げる半面、
政府は施設から在宅へと介護の主要な場を移行しようとしている
 ただ緊急時に被介護者を預けられるサービスが不足するなど、働きながら
在宅介護を続けるには難しい実情も浮かぶ。

 国政選挙が近づく。
 日々の介護に神経をすり減らして仕事や収入に不安を抱える家族らの現実
を見つめ、きめ細かい政策論争を期待したい。

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列車鉄道事故判決が出た当時は、いろいろ反響があり、今回のインタビュー
にあるような提案も散見されました。
しかし、結局、何かしらの法制化が検討され、提案されているという話は耳
にも、目にもしません。

こうした事故・事件などが起こるたびに訴訟問題となる。
その判例だけが積み重ねられていく・・・。
そうなっていくのでは、と思っています。
現実的にも、なかなか簡単に決め得ることではないですが・・・。

さて、
介護保険給付を削減することを念頭に置いて、介護を受ける高齢者は、みな自
宅での介護を希望するから、と、あたかもその気持ちを汲み取った政策と都合
よく解釈し、在宅介護路線を走ろうとする政府・官僚・官庁。

まさに介護資源を持たない家族を、結局介護離職や介護殺人のリスクを抱えた
厳しい生活に追い込んでいます。

デイサービスやショートステイが、家族の負担を軽減する介護サービスとして
受け入れられ、評価されているかのように見えますが、その見方は、一面的で、
在宅介護の現実から脱出できるわけではありません。
むしろ、反動として、より負担・苦痛を増すこともありかもしれない・・・。

私は、軽費で入居・利用可能な施設介護の充実を、最優先課題・政策とすべき
と考える者であることは、当ブログで、再三再四申し上げています。

施設介護を可能にする基盤を拡充しない限り、介護休業制度の拡充をもってし
ても介護離職は防げないと考えます。
通常の休日休暇や時短勤務、フレックス勤務などを活用しながら働き続けて、
その収入の一部を施設介護費用に充てる。
合間合間に可能な介護支援を行う。
そういう方向を目指すべきと考えるのです。

介護する立場の尊厳を守るコト。
その立場の人の方が、多くは、一層長い人生を残し、まだまだ現役として働き
続けるべき人、働きたい人々であるがゆえに、在宅介護に縛られた残りの人生
ではなく、生きがい・働きがい・創造のし甲斐がある人生を送って欲しい、送
るべき。
そう思うゆえです。

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