実刑判決も執行猶予判決も抑止力にはならない家族介護殺人・心中事件:『もう親を捨てるしかない』から(5)
最新刊の
『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない 』
(島田裕已氏著・2016/5/30刊)を紹介しながら考えるシリーズです。
「はじめに」
第1回:介護殺人?利根川心中事件が話題にならなかった背景を読む
「第1章 孝行な子こそ親を殺す」
第2回:家族による介護殺人事件への関心が薄れていく
第3回:減る殺人事件、増える介護殺人・心中事件、家族・親族間殺人事件
第4回:在宅介護推進政策は、介護殺人助長政策?
と進み、今回は第5回。
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第1章 孝行な子こそ親を殺す(4)
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<裁判官も刑務官も泣いた事件に下された温情判決>
では、実際に介護殺人が行われたとき、法廷においては、どういった判決が下される
のだろうか。
判決が下った当時、社会的に注目を集めたのが、2006年に起こった「京都(伏見)介
護殺人事件」、あるいは、「京都認知症母殺害心中未遂事件」などと呼ばれるものであ
る。
これは、無職の544歳の男性が、京都伏見区桂川の河川敷で86歳の認知症の母親を、
本人と相談の上殺害した事件である。
男性は、自らも自殺をはかったが、一命をとりとめた。
被告人となった男性は、両親と3人暮らしだったが、1995年に父親が亡くなり、その
頃から母親は認知症の症状を示すようになる。男性はひとりで母親の介護を行った。
ところが、事件が起こる前年の4月からは母親の症状が悪化し、昼夜逆転した生活を
送るようになる。徘徊も始まった。
男性は夏頃に介護保険を申請し、母親はデイケアのサービスを受けるようになったが、
7月頃には介護のため休職せざるを得なくなる。
9月頃には、それにも限界を感じ、退職した。そして、介護を続けながら別の仕事を
探したが見つからなかった。12月には、失業保険もストップする。
男性は、区役所を訪れ、「生活が持ち直せるしばらくのあいだだけでも生活保護を受
給できないか」と相談をもちかけたが、まだ働けるということで、受けられなかった。
カードローンの借り入れも限度額に達し、食事も2日に1回にきりつめていた。それで
も母親には食事をさせていた。
男性の頭のなかには、生前に父親が言っていた「他人に迷惑をかけたらあかん」「返
せるあてのない金は借りたらあかん」などといったことばが浮かんだため、親戚などに
頼るということもしなかった。
ついにアパートの家賃も払えなくなり、手元には現金が7000円しか残っていなかった。
男性は、2006年1月31日、アパートを掃除し、親戚と大家さんに宛てた遺書と印鑑を
テーブルの上におき、母親と家を出た。最後の食事は、コンビニで買ったパンとジュー
スだった。母親には、「明日で終わりなんやで」と何度も話しかけていた。
(略)
すでに翌日になっていた。男性は、「もうお金もない。もう生きられへんのやで。こ
れで終わりやで」と言い、「すまんな」「ごめんよ」と言いながら泣きじゃくった。
母親は息子の頭をなでて、「泣かなくていい」と答えたという。
男性は、ついに母親の乗った車椅子の背後にまわり、タオルで首を絞め、ナイフで切
った。自らもナイフで傷つけ、近くにあった木にロープをかけて首つりをはかったが、
死ねなかった。二人は翌朝、通行人によって発見された。
この事件の初公判は、同年4月19日に京都地裁で行われた。冒頭陳述では、検察官が
事件に至るまで経緯を詳しく述べ、男性がいかに精神的に追い詰められていったのか
を明らかにした。
これには被告人も涙したが、裁判官も目を赤くし、刑務官も涙をこらえるためにまば
たきをしていたという。
7月21日に判決が下るが、裁判官は、「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨
みを抱いておらず、被告人が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察され
る」として、男性に対して懲役2年6月、執行猶予3年の判決を言い渡した。男性は殺
人を犯していながら、刑務所行きを免れたのである。(『週刊文春』2006年6月29日
号など参考)
男性には執行猶予がついたわけだから、「温情判決」ということになる。
だが、男性が、父親の言っていたことに縛られず、親戚なり周囲の人間に助けを求め
ていたとすれば、最悪の事態は免れていたかもしれない。
※次項に続きます。
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前回、ちょうど「利根川心中事件」の判決が出たばかりで、その内容を紹介した
ところです。
⇒ 在宅介護推進政策は、介護殺人助長政策?
2006年の「京都認知症母殺害心中未遂事件」も、昨年2015年の「利根川心中事件」
も、介護をめぐっては、本質的になんの状況の変化もないわけです。
この書の事件の内容は、被疑者の供述をもとに公判で明らかにされたものなので
すが、こうした検察の聴取・訴追、公判のプロセスに共通に感じる不自然さも一部
あります。
状況・プロセスなどを言語化するわけですが、本人が、本当にそんな表現をする
だろうか・・・。
あるいは、54歳の男性が、父親の教えを守るべく死を選んだ、という件・・・。
そして判決で「被告人が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察され
る。」としている点とか・・・。
どうなんでしょう?
これからの人生における幸せ?
ならば、執行猶予判決とは言え、いわゆる前科をつけないことがその主意に沿う
のではと思うのです。
そもそも、こうした裁判は、だれのためにあるのか・・・。
亡くなった母親の代理としてのものならば、有罪にはならないのでは、すべきで
はないのでは・・・。
家族介護殺人事件は、そういう点で、一般の刑事事件とは意を異にする面がある
と感じてしまいます。
かと言って、それを奨励するということでは、断じてありません。
現状の、在宅介護を推奨し、施設介護には高額の費用が掛かる介護保険制度、お
よび介護社会保障・社会福祉政策では、家族介護殺人・心中事件はなくならない、
という現実。
それを訴追し、裁く立場の人・組織、そして介護制度を掌る所轄官庁などがどう
考えるか、どう対応するのか・・・。
それが明確に提示されない状況が続く限り、実刑を含む判決・判例がその抑止力に
なるとは思えませんし、家族介護の現実は、より厳しくなっていくことは目に見え
ているのです。
次回は、<介護に悩み、疲れ果てた膨大な人たちがいる>
に続きます。
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【『もう親を捨てるしかない 』構成】
はじめに
第1章 孝行な子こそ親を殺す
第2章 日本人は長生きしすぎる
第3章 終活はなぜ無駄なのか
第4章 親は捨てるもの
第5章 とっとと死ぬしかない
第6章 もう故郷などどこにもない
おわりに
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【島田裕已氏プロフィール】
1953年生。宗教学者、文筆家
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、
東京大学先端科学技術センター特任研究員を歴任。
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(主な著作)
『日本の10大新宗教』『葬式は、要らない』
『戒名は自分で決める』『八紘一宇』
『0葬 ――あっさり死ぬ』『死に方の思想』