在宅介護主義と地域包括ケアシステムに潜む疑問・課題:『もう親を捨てるしかない』から(9)
新刊の
『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない 』
(島田裕已氏著・2016/5/30刊)を紹介しながら考えるシリーズです。
「はじめに」
第1回:介護殺人?利根川心中事件が話題にならなかった背景を読む
「第1章 孝行な子こそ親を殺す」
第2回:家族による介護殺人事件への関心が薄れていく
第3回:減る殺人事件、増える介護殺人・心中事件、家族・親族間殺人事件
第4回:在宅介護推進政策は、介護殺人助長政策?
第5回:実刑判決も執行猶予判決も抑止力にはならない家族介護殺人・心中事件
第6回:先に人生を終える高齢者世代の介護と終え方の責任
第7回:介護生活未経験の方に知って頂きたいその状況
第8回:自宅療養・在宅介護は多くの人の希望か?財政面からの政策の持つ狙いと矛盾
と進み、今回は第9回。
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第1章 孝行な子こそ親を殺す(8)
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<介護殺人の温情判決は、あたかも「いたしかたない」と言っているかのよう>
しかし、この提言では、一方で65歳以上の高齢者がこれからも増えていくことも強調
している。
さらに、世帯主が65歳以上の単独世帯や夫婦のみの世帯が増えていくことも指摘して
いる。
単独世帯で要介護になれば、自宅での療養は難しい。夫婦のみの世帯では、老老介護
という現実が待っている。
そうした困難な状況が予想されるなかで、国が提言している介護の将来像は、「住ま
い・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの実現」
である。
こうしたシステムが構築されれば、「重度な要介護状態になっても、住み慣れた地域
で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるように」なるというのである。
ただその際にも、「人口が横ばいで75歳以上人口が急増する大都市部」と「75歳以上
人口の増加はゆるやかだが人口は減少する町村部」など、地域差があるため、地域包括
ケアシステムは、「保険者である市町村や、都道府県が、地域の自主性や主体性に基づ
き、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要」だとされている。
これも、地域の特性に配慮した柔軟な施策の提言であることを強調しようとするもの
だが、「自主性や主体性」という文言からすると、国は金も手間もかけられないから、
各地域でなんとかしてくれと、地方に負担を押しつけている。
この提言では、もう一つ、内閣府による2007年度の「高齢者の健康に関する意識調査」
において、要介護状態になっても、「自宅で介護してほしい」が41.7%、「子どもの家で
介護してほしい」が2.3%、「親族の家で介護してほしい」が0.5%で、それらを合計する
と44.5%になることから、「自宅や子供・親族の家での介護を希望する人が4割を超えた」
点も強調している。
こうした提言が現実のものとなり、在宅介護が中心になれば、家族や親族の負担はより
大きくなる。そうなれば、介護疲れに襲われる人間が増える。
働けなくなって、仕事を辞めざるをえない人間も増える。
それは、生活の基盤を突き崩し、ひいては介護殺人を増加させることになる。
まさか国が介護殺人を奨励しているわけではないだろう。そうならないための提言で
あるはずで、地域包括ケアシステムが確立されれば、介護殺人は防げるということなの
かもしれない。
しかし、介護殺人に対しては、京都伏見の事件の場合のように、多くは温情判決が出
て、執行猶予がついている。実刑判決が出た青森の事件の場合には、介護疲れによって
殺人に追い込まれたとは見なされなかったことになる。
介護殺人に至っても、温情判決で救われる。ならば、それでいいではないか。
国の政策は、暗にそうした方向を示唆している。
それは、うがった見方かもしれない。だが、在宅介護中心という国の方針は、国民の
要望をもとにしている点を強調しすぎている点で、かなり怪しい。
介護殺人はやむを得ない。
どうしても、そのような方針にであるように見えてくるのだ。
介護は実に大変なことである。
赤ん坊を育てる育児も大変で、親はそれにかかりきりになるが、赤ん坊に場合には、
成長するにしたがって、世話は楽になる。何より、子どもの成長に喜びを感じることが
できる。
ところが、介護となれば、年を重ねるにつれて、世話はしだいに増えていく。
認知症が重くなれば、介護する人間の生活は完全に振り回される。徘徊などというこ
とも起こる。しかも、介護される側が回復し、もとに戻ることは期待できない。
介護にすべてを費やせば、仕事などしていられないし、まともな生活は送れない。
仕事がなくなれば、生活は困窮し、多くの人間たちがするように、死を選ぶしかなく
なっていく。
高齢者の増加と、国の在宅介護の方針は、そうしたケースを、今後さらに増やしてい
くことにつながる。国がその方針で臨まないにしても、現実は確実にそちらの方向に向
かっている。そこには、絶望的な状況があるだけである。
※次項に続きます。
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このブログサイトを始めたときから、わたしは、在宅介護主義に反対の立場を通して
きました。
一昨年12月、同居していた当時92歳の義母の脚の骨折・手術・入院から、認知症認定
申請、ヒハビリ転院、そしてサ高住への入所。
このプロセスで、地域包括支援という言葉と仕組みを知り、当事者として経験。
おまけに?今年6月に、わたし自身の脚の骨折・手術・入院、リハビリ転院(現在も
入院中)と、認知症認定のプロセスこそありませんが、ここでも地域包括のお世話に?。
この地域包括ケアシステムについて、今回の文章で触れられていますが、わたしには、
このシステムとやらが、利益を得る病院や介護施設間で、患者や要介護者の回し合いを
し、利益を分け合うためのもの、ことのように思える部分があるのです。
もちろん、偏った見方ですが・・・。
でも、絶対そういう要素もあるのです・・・。
例えば、の話は、別の機会に。
裁判の温情判決。
これなどは、場合によっては、介護の実情をしらないで、裁判官にそんな判断・判決
をする権利などない、という率直な気持ちを感じることさえあります。
あとは、文章にあるような思い、感覚、同様です。
介護を受ける者の希望は、そうかもしれません。
44%あると考えるか、それでも44%どまり、と考えるか・・・。
そこには触れていません、国は。
そして何より、介護する側の意見・希望・気持ちには、まったく触れない・・・。
介護を受ける人の人権。
もちろん、それもありますが、介護をする人々の人権もある・・・。
介護する人々が、介護殺人や介護心中に至るようになるまでの厳しく困難な状況・
事情から抜け出すことができる権利もあるはず・・・。
一部の富裕層は、それを有償サービスで対応できるから関係ない・・・。
しかし、大半の人々、家族、夫婦は、そうはいかない・・・。
回復期病院や回復のための介護施設でリハビリに励む高齢者。
その気が長くなるようなリハビリ業務に多くの若者が携わっている。
もちろん、その心優しき若者たちがいることを嬉しく思いますが、批判を承知で申し
上げるなら、理学療法士・作業療法士、介護士、看護師、介護・看護ヘルパー、みな仕
事として従事し、賃金を得ているのです。
しかし、在宅介護する家族には、給料は出ないばかりか、給料を得るための仕事自体
辞めざるを得ない・・・。
犯罪者になるリスクも背負わされて・・・。
やはり、何かを変革しなければならないことは確かです。
次回は、<まず「世帯の分離」からはじめる親捨て>
に続きます。
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【『もう親を捨てるしかない 』構成】
はじめに
第1章 孝行な子こそ親を殺す
第2章 日本人は長生きしすぎる
第3章 終活はなぜ無駄なのか
第4章 親は捨てるもの
第5章 とっとと死ぬしかない
第6章 もう故郷などどこにもない
おわりに
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【島田裕已氏プロフィール】
1953年生。宗教学者、文筆家
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、
東京大学先端科学技術センター特任研究員を歴任。
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(主な著作)
『日本の10大新宗教』『葬式は、要らない』
『戒名は自分で決める』『八紘一宇』
『0葬 ――あっさり死ぬ』『死に方の思想』