「男は、女はこうあるべき」が崩れる社会に備える:「時間」がない男が「居場所」のある女に頼るミライ(5)

 

「居場所」のない男、「時間」がない女』(水無田気流さん著)を
ネタにして始めた
<「時間」がない男が「居場所」のある女に頼るミライ>ブログ
第1回 ⇒ 関係貧困と時間貧困、時空の歪みを歯噛みする
第2回 ⇒「亭主元気で留守がいい」から「亭主ピンピンコロリがいい」時代へ
第3回 ⇒ 粗大ゴミ・産廃・濡れ落ち葉男性の今昔とミライ
4回目 ⇒ 時間がある若い世代の居場所確保と疎外感克服法は?

20歳の年齢差を超克できるか、咬み合わず歯噛みするか
4回目です。

----------------------------
『第1部 居場所のない男』
【第1章 男女の時空間分離がもたらした悲劇】から
----------------------------
<覇権的男性性が男性自身をも苦しめる>

※前回からの続きです。

村田が指摘した「覇権的男性性(ヘゲモニック・マスキュリニティー)」とは、
社会学者のR・F・コンネルの術語であり、『マスキュリニティーズ(男性性)』
(1995)等の論文で提示された概念である。
これは、簡単にいえばその社会の中で主流とされる男性性を意味する。
覇権的男性性は、正当な男性性のあり方を脅かす「従属的男性性」の価値を貶め
ることによって構築される。

 「従属的男性性」とは、例えばゲイの男性や、軟弱な男性などが代表的だと
コンネルは指摘するが、大枠では既婚者に対する未婚者、仕事で成功した男性と
成功していない男性など、社会の中で「非主流の男性」とされる対象といえる。

 「覇権的男性性」を作り上げ、「従属的男性性」を貶めるのは男性だけに限ら
ず、むしろ女性によっても積極的になされていく。
この、覇権的男性性に荷担する女性は、覇権的男性性を賞賛し、進んで従属的な
立場に立つ日常行動をとる。これを、コンネルは「誇張された女性性」と呼ぶ。

 女性による従属的男性性の貶めは、ときに同性によるもの以上に男性を傷つけ、
反作用として過剰な「女性嫌悪」を引き起こすことがある。
 
(事例としての「秋葉原無差別殺傷事件」の記述:略)

021

・・・社会的資源に恵まれた男性にすり寄る女性に対し、嫌悪感を覚える男性
は多いだろう。それは彼女たちの行為が、社会の中で優位な位置を占める男性を
賞賛することで、覇権的男性性強化のための共犯関係を築くからだ。これは、相
対的に社会的資源に恵まれない男性を、より貶めることにつながってしまう。
 
 このように、女性のみならず男性をも苦しめる覇権的男性性だが。好ましくな
い男性像を貶める(従属的男性性の表現)という意味で、「粗大ゴミ」や「臭い
夫」は実に日本的描写といえる。

 既婚で会社員の男性とは、未婚や非正規雇用者に比べ属性は優位だが、「実は
尊重されていない」という事実は、本音と建前の間に大きな隔たりがある日本社
会の一側面を表している。妻が心のなかではゴミ扱いしながらも、退職後にすぐ
死んでほしいと思いながらも、生活が保障されている限り離婚に踏み切らずにい
る日本の夫婦像は、海外からはしばしば奇異な目で見られてきた。

(略)

 夫を鬱陶しがる主婦たちが発した流行語や現象の数々は、彼女たちが日常的に
抱えている鬱屈の、ガス抜きの呪文だ。臭がられる夫役男性は、女性のスケープ
ゴートである。

 鬱屈の最大の要因は、女性たちが自分で自分の人生や生活を、コントロールす
る手段に乏しい点に求められよう。
実際、主婦の仕事とは、家族のために体を空けておくことに眼目がある。
主体的に何かをすること以上に、誰かのために家や地域にとどまっていることこ
そが、主たる業務だ。

 24時間誰かの「ため」に時間を差し出すことが求められている既婚女性たちの、
唯一の「休憩時間」は、家族がいない時間である。
夫が職場に行っているときや子どもたちが学校に行っているときしか、休むこと
はできない。
既婚男性は、妻が外で働いていてもいなくても、家事の時間はそれほど変わらない。
つまり夫の在宅は妻の家事の助けにならないどころか、夫の在宅時間は妻のケアワ
ーク時間ということになる。

「亭主元気で留守がいい」は、つかの間の休憩時間がもっと長ければいいのに・・・
・と願う女性たちの本音だ。それは月曜日の朝、会社に行く身支度をしながら、
「今日も休みだったらいいのに」とぼやくサラリーマンのそれと似た感情である。

 だが、世間一般の「感情」は、会社員が「会社を休みたい」と愚痴をこぼすこと
は容認できても、妻が夫を邪魔に思う本音には拒否反応を示す
なぜなら、それは家族愛や夫婦愛の物語を解体してしまうからだ

※続きます。

----------------------------

若夫婦

ちょっと難しい表現が増えてきましたが、
自尊心と劣等感の問題。
そう置き換える、呼び替えることが可能な<覇権性>と<従属性>の問題は
人間にとって、なんとも厄介で、悩ましいモノ、コトです。

一人の人間としては、自我を持ち始め、自意識を失わない限り、死ぬまで
持ち続ける、二つの相反する感情・感覚課題。

人類として、社会として考えれば、そうした人に共通の精神構造に基づく
行動がもたらす事件や抗争がなくならない、どこかで必ず発生し続けると
いう困難な課題。

その縮図の、ひとつの社会としての夫婦社会や家族社会との関係性の中での
男性と女性、夫と妻のギャップ。

心、感情をもつ肉体・物体としての男と女の関係は、なんとも複雑な様相を
常に呈しています。時に潜在化し、時に顕在化して・・・。

そこで有効なのは、寛容、忍耐・・・
それとも無視、それとも闘い・・・。
これだ!という解はなく、その折々の時間の流れに委ねていく・・・。

居場所を少し変え、顔を合わせるタイミングをずらし、時間を少しずらし、
善悪よりも、損得を考え・・・。

それを知恵と呼ぶか、怠慢というか、先送りというか、逃避と呼ぶか・・・。
それは、根本的に、両者の歪みを正すことにはならず、歯噛みするか、
爪を噛むか・・・。

なんて、実際そんな深刻なことではないこと、笑って済ますことができる
こと、数時間もすれば、何事もなかったようになること・・・。

いえいえ、そうしたことの我慢・鬱積が、いつか爆発するかも・・・。

まあ、どんなことが起きても想定内!
そう思え、対応できる多様性・柔軟性を身につけて行くべき時代・社会、
夫婦・家族、そして男と女であること。

それが、男性にも女性にも共通の課題というのが、今日の結論です。

カップル喧嘩

----------------------------
【水無田気流さん・プロフィール】
1970年神奈川県相模原市生まれ。詩人・社会学者
早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。
著書:『シングルマザーの貧困』『無頼化した女たち』
『黒山ももこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望』
『平成幸福論ノート』(田中理恵子名義)など

関連記事一覧