性情報をめぐる状況・環境の違いがもたらす若い世代の意識:『恋愛しない若者たち』から(2)

恋愛しない若者たち コンビニ化する性とコスパ化する結婚
牛窪恵さん著:2015/9/30刊・ディスカヴァー携書)
を紹介しながら、若者世代をとおして、これからの時代の結婚や少子化に
ついて考えてみるシリーズを始めます。

「第1章 恋愛レボリューション 何が若者たちを恋愛から遠ざけているのか?」
のイントロダクションとしたのが
第1回:最も若い大人世代の意識と行動を垣間見ます

今回から
【第1節 若者たちの恋愛阻害要因① 「超情報化社会」がもたらした功罪

―――バーチャル恋愛とリアル恋愛の狭間で】に入ります。

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 第1節 若者たちの恋愛阻害要因① 「超情報化社会」がもたらした功罪
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<デートの約束もエッチ画像も、「いつでもどこでも」のコンビニ感覚>

今世紀初めに起こった若者の恋愛意欲の転換、「恋愛レボリューション」の発生
要因の一つは、「超情報化社会」がもたらした功罪・恋愛の趣味化。
膨大な情報開示により、ときめきとチラリズムの消失、と言ってもいい。

近年の超情報化がどれほどのスケールなのかは、(略)『明日のプランニング
を読むとよく分かる

象徴的なのが、「2011年のたった1年間に流れた情報の量は、人類がそれまで
に書いた全書籍の情報量合計の、1921万倍にあたる」という表現。
まさに想像を絶する。

90年代前半、恋愛に変化の兆しをもたらしたツールといえば、ポケベルだろう。
男女が離れていても「アイシテル」などパーソナルに連絡を取り合えるように
なり、恋人たちの距離は一挙に縮まった。画期的な発明だった。

ポケベル登場は、私(筆者、牛窪氏)の大学時代。
子ども時代はといえば、自宅に1台のダイヤル式黒電話(子機なし)しかなか
った。好きな男の子から掛かってくるとなると、数時間前から「お父ちゃんが
出ちゃったらどうしよう」と、電話の前でハラハラしたものだ。

ところが現20代は、デジタルネイティブ
多くは子どもの頃から、自分専用の子機はもちろん、ケータイやネット環境に
も恵まれて育った。
ポケベルさえ「ナマで見た記憶はない」という男女もいる。
それもそのはず、日本初のキッズ用ケータイ(PHS)「ドラえホン」の登場が
98年、ウィンドウズ98の発売も同年。
幼い頃から、電話やメールで、好きな異性にいつでも直接連絡を取れるのが
「当たり前」だったのだ。

もちろん、黒電話を眺めてドキドキするよりは、便利でラクだったはず。
反面、その利便性が思春期特有の、恋愛のわくわく感を削いだ部分もあろう。

異性の裸体やセックスに興味が薄いのも、メディアの進化と決して無縁ではない。
取材では20代から、こんな声が次々とあがった。
「中学生の頃、(ケータイ電話の)ヘンなボタンをクリックしたら、いきなり
女性の裸がパーッと出てきた。いやらしいポーズばっかで、吐き気がした」
「小学生のとき、父親のパソコンでインターネットを見ていたら、行為中の
画像が現れてビックリした。表情が気持ち悪くて、なんかコワいと思っちゃった」

そのせいもあろう。
いまや20代女性の3人に1人以上、同男性でも5人に1人以上が、それぞれ
「セックスに関心がない」あるいは「嫌悪している」と答える。
この「性的無関心+嫌悪」派は、08年時の20代に比べ、わずか6年で1割以上
も増えた計算だ。(15年・日本家族計画協会)

成人向けのアダルトビデオの登場は、80年代後半。
当時はまだビデオ販売が高額で、多くは身分証明書を見せ、レンタルビデオ
ショップで借りるのが主流だった。
この頃まで、異性の裸体やセックスは、なかなか子供が立ち入れない未知の
領域だったはずだ。

ところが現20代男女が小中学校の頃、急速に発達したのがネット上のアダルト
サイト。
これにより、まず「エッチな画像(静止画)」がパソコン経由で家庭内に侵入。
彼らが高校・大学生になる頃、今度は「動画」のアダルトサイトが続々と登場。
その後はケータイやスマホの進化に伴い、いつでもどこでも、が定番化。
いまやコンビニ感覚で楽しめるものへと変わり、神秘のチラリズムや「トワイ
ライトゾーン」の感覚は失われたのだ。

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確かに、こうした性・セックスをめぐる情報過多と情報の内容の変化は、大き
く人の心理に、特に成長期の若者には影響を与えるでしょうね。

団塊世代のわたしにとっては、初めは小説での恋愛描写・性描写からだったで
すね。
そして、週刊平凡パンチや週刊プレイボーイなどへの大竹省二、中村正也など
プロ写真家によるヌード写真や同誌掲載の北原武夫などの官能小説・・・。
それから外国映画専門グラビア誌も。
(名前がさっと出てきません)

想像力を描き立てながら、大人の世界へ・・・という感じでしょうか。
他の地域からの入学であった高校の同級生には、かなり早熟で、サドマゾなど
の雑誌を持っていた奴もおり、家を行き来して情報交換。
一層想像を逞しくした覚えもあります。

そうした環境と今を比較すれば、その差はあまりにもあり過ぎる。

とはいっても嫌悪感を持ってしまうのは、なんとも可哀そうなこと、残念な
こと思います。

ただ、自分という個人がこの世に生を受けたことを考えることが、セックス
に対する見方・考え方を自分なりに肯定する方向に結びつかないものでは
ないかと思うのですが・・・。

若い世代はどう考えるのでしょう・・・。

いつでも、どこでも、という感覚は、望めば、の話ですが、
望まない情報は排除すればいいのであって、この文章のタイトルには、あまり
共感は覚えません。

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次回、<失われたセックスと恋愛への幻想> に続きます

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