親子・家族・夫婦関係を考える人間形成のプロセスの在り方:『母という病』から(5)
『母という病』(岡田尊司氏著・2014/1/8刊)を紹介しながら、家族・
親子・夫婦などを考えるシリーズを始めています。
「序章 母親という十字架に苦しんでいる人へ」
第1回:世代を継承する「母」という女性への感謝と願いから
第2回:子と母の関係を推し測ることができる性格・言動
第3回:「母という病」と「子という病」、両面を認識したい
第4回:人格形成に影響を及ぼす、子ども期の母親との関係
今回から、「第1章「母という病」に苦しむ人たち」に入ります。
その第1回(通算第5回)です。
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第1章「母という病」に苦しむ人たち(1)
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<引きずり方にもいろいろある>
母という病を抱えた人は、親という存在にこだわりをもっている。
幼い頃の不足ゆえに親の愛を求め続けるにしろ、重すぎる愛に押しつぶ
れそうになっているにしろ、親という十字架を引きずり続けている。
親に愛されずに、満たされない子ども時代を過ごした人ほど、親に愛さ
れたいと思い、親へのこだわりを持ち続けてしまう。
親に愛されすぎるほど愛されても、肝心なものが欠けていると、大人に
なりきれず、母親との関係を卒業することができない。
引くずり方もさまざまだ。
親に愛されたい、認められたいという思いが、過剰なまでの行動になっ
て表れる場合もあれば、それが裏返って、親を苦しめようと反発する場
合もある。
親にお人形のように可愛がられ支配されて育ったために、自分一人では
何もできず、親に頼っている一方で、心の中に怒りや不満をくすぶらせ
ている人もいる。
親に認められない自分をダメな人間だと感じ、知らず知らず自己否定に
とらわれてしまうことも多い。
そんな自分を罰するかのように、自分を損なう行為に耽る人もいる。
中には自分を否定してきた親に対して、仕返しや復讐をしようとする人
もいる。
その仕返しは、直接親を攻撃し痛めつけることによる場合もあるが、む
しろ自分自身をダメにし痛めつけることで、間接的に親に痛みを味わわ
せようとすることの方が多い。
自分を認めない親を否定し、自分の人生から切り捨てることで、どうに
か自分を保とうとする場合もある。
だが、母親と距離をとり、顔を合わせないようにしている場合でさえも、
心の安定が守られているわけではない。
直截脅かされることはないものの、母親に認められない、愛されていな
いという思いが心のどこかに巣食ったままで、何事に対しても積極的に
なれなかったり、ネガティブな考えにとらわれやすかったりする。
心の中に居座り続けている母親が、あなたのすることなすことを、「だ
からあなたはダメなのよ」と囁き続ける。
綾から離れているのに、親代わりの存在を求め続け、代償的な行為に耽
り続けることもある。
しかし、親代わりを手に入れようとする涙ぐましいまでの努力も、報わ
れるよりも、手痛い失望や裏切りに遭うことも多い。
それでも、子どもは諦めることができず、幻を追い続ける。
それほど母親を求める気持ちは深く、本質的なものなのだ。
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親を客観的に見ることができるようになるのは、いつ頃からでしょうか?
感覚的には、中学生くらいから、そうなれば、と思います。
自分と母との関係、父との関係。
母や父への感情や評価。
もし、どちらか、または両方がいない場合には、それに対しての疑問や感
情など・・・。
ただ、そうしたことについて考えてみる機会は、学校教育の場であったか
どうか・・・。
ほとんど記憶がありません。
保育園児や小学生の時には、「お母さんへ」とか「お父さんへ」など何かし
ら作文を書かされたような記憶・機会はあるかと・・・。
そのことに何か重要な価値があったかどうか分かりませんが、どちらか、
あるいはどちらもいない子どもにとっては、大変悲しく、厳しい時間であっ
たろうな・・・。
子どもなりに思った記憶がかすかにあります。
中学生や高校生になれば、親をどう思うか・・・。
母の日や父の日に、無理やり感謝を強要?するような社会的な行事・慣習は
好みませんね。
ただこの時期には、できることなら小説や映画・TVドラマなどで、親子や
家族の関係・あり方について見聞きし、自分のそれと比較し、重ね合わせる
ことで自分なりの家族観、親子関係観を持つことが考えられます。
そのプロセスは大切と思います。
その時の感情の持ち方、表出の仕方、その反対の潜在意識化・・・。
そこで、自分の立場が逆転したときの感情の潜在意識が形成される・・・。
そうした経験がない場合は、乳幼児・児童の時の原体験が、そのまま潜在意
識として残り、将来に影響する・・・。
それが、「引きずり」・・・。
いわゆる大人に成長する時期における、家族や親子、そして夫婦の在り方に
ついての、小説や映画やTVなどのドラマ、そして社会的事件などを通して
の疑似体験をどのように自分なりに消化し、昇華していくか・・・。
そうしたプロセスを、社会の何かが、個人のために用意し、働きかけること
は実はありません。
もしかしたら、中学校や高校で、そうしたカリキュラムが用意されているこ
とが必要なのかもしれない・・・。
ふと、いま、そんなことが思い浮かびました。
次回は、<自己否定を抱えやすい>です。
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-『母という病』構成-
序章 母親という十字架に苦しんでいる人へ
第1章 「母という病」に苦しむ人たち
第2章 生きづらさの根っこには
第3章 残された傷跡
第4章 不安定な母親に振り回されて
第5章 自分しか愛せない母親とその人形たち
第6章 生真面目な母親の落とし穴
第7章 「母という病」を克服する
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-<岡田尊司氏・プロフィール>-
1960年生まれ。
精神科医、作家。医学博士。
東京大学哲学科中退、京都大学医学部卒。同大学院医学研究科修了。
長年、京都医療少年院に勤務した後、岡田クリニック開業。同院長。
パーソナリティ障害、発達障害治療の最前線に立ち、臨床医として
人々の心の問題に向かい合っている。
主な著書:『パーソナリティ障害』『悲しみの子どもたち』
『脳内汚染』『アスペルガー症候群』『発達障害と呼ばないで』
『愛着障害』『回避性愛着障害』など。