母親と子どもとの個体分離。片手落ちのお母さん擁護論の幼児性:『保育園 義務教育化』から(9)
何かと問題発言も多いらしい、露出度が高い若手男性社会学者古市憲寿氏の子育て・
保育論『保育園義務教育化』(2015/7/6刊)を紹介しながら保育・子育て政策の転換
と社会システムとしての構造改革を考えるシリーズ。
【はじめに】
第1回:絶望の国の「お母さん」にしない、ならないために
第2回:待機すれば入園できるのか?お母さんを虐待する待機児童問題
第3回:「一人っ子政策」を進めているかのような日本の少子化対策の怪
第4回:少子化を克服したフランスの経済学者ピケティも不安視する日本の育児と少子化
第5回:子どもの数よりも猫と犬の数が多い現実
第6回:義務教育の早期化は世界的な潮流
第7回:共に教育を提供する保育所と幼稚園から導く、義務教育化保育園
第8回:保育園義務教育化は「未来への投資」。社会福祉の世代間格差も考える
今回は、「第1章「お母さん」を大事にしない国で赤ちゃんが増えるわけない」
の第1回(通算第9回)です。
------------------------------------
第1章「お母さん」を大事にしない国で赤ちゃんが増えるわけない(1)
------------------------------------
この国では、「お母さん」が日々取り締まられている。
子どもが泣いた時は「すべて私が悪い」と謝罪することが求められ、ベビーシッター
を使おうとすると「母性がないのか」と糾弾される。
そしてこの国は、「子ども」を大事にするあまり「お母さん」のことを心配しない国
だ。
たとえば未だにこどもが3歳児まではお母さんが育てるべきだという「三歳児神話」
を信じている人がいる。
しかし、その神話は文部科学省が公式に否定している上に、専業主婦など、外部との
交流がないお母さんほど育児不安になる割合が高いことがわかっている。
また虐待死の多くも、子どもが3歳児までに起きている。
「子ども」によかれと「お母さん」に対して強制していることが、実は必要以上にお
母さんを苦しめているかもしれないのだ。「母乳教」もその一つだ。
それなのに、日本では父親の育児参加が世界的に見て、非常に少ない。
育児の負担が過剰に「お母さん」一人に集中しているのだ。
この章では、現代日本における「お母さん」をめぐる異様な状況を見ていこう。
<「最高のお母さん」や「毒親」になるとき>
ダウンタウンの松本人志さんがツイッターでつぶやいた一言が話題になった。
松本さんが、新幹線に乗った時、どうやら近くで子どもが騒いでいたらしいのだ。
それに対して松本さんは、子どもに罪はないが、親には問題があるのではないかと、
次のようなツイートをした。
新幹線で子供がうるさい。。。
子供に罪はなし。
親のおろおろ感なしに罪あり。。。
確かに松本さんの気持ちも想像できる。
特に仕事で疲れて新幹線で寝ようとしている時だったら、子どもの泣き声がうるさく
感じる時もあるだろう。
その時、親が堂々としていることに苛立つ場合だってあるかもしれない。
松本さんが出演する『ワイドナショー』という番組でも、このツイッターが話題にな
ったことがある。僕が抱いた感想は「親と子どもは違う個体だから、仕方がないんじゃ
ないか」というものだった。
日本では、子どもが小さい時には「悪いのはすべて私です」とオロオロするお母さん
が好まれる。
一方で、僕のように「子どもは自分とは違う個体なんで」と堂々としている親は批判
の対象になる。
つまり、母親と子どもが「一体」であることが求められているのだ。
子どもが泣くのも、全部親のせい。それはすべて母親がなんとかすべきこと。
子どもは母親の力で何とかできる。そんな風に信じているお母さんが「よき母」とさ
れるのだ。
だけど不思議なのは、そういったお母さんは、子どもがある年齢を超えると「毒親」
扱いされてしまうことだ。
高校生になっても、子どものすべてを支配しようとすれば、子どもからも社会からも
「気持ち悪い」と言われてしまうだろう。
子どもの時に100点だったお母さんが、「毒親」や「モラ母」扱いされてしまうの
だ。これってとっても不幸なことではないだろうか。
だったら、初めから「親と子どもは違う個体」という意識を徹底させ、「お母さん」
と「子ども」を切り分けてあげたほうがいいと思う。
この導入部の内容は、学者らしくなく、言ってることがよく判らない、って、学者ら
しいのか、言ってることが分かりにくいってことは???
乳児・幼児のときの母親の在り方と、成長してからの母親の在り方が一緒じゃ、反対
に気持ち悪いでしょ。
それから一貫して、親と子の分離、異なる個体論・主義でいくと、親としての養育責
任まで分離、みたいなことになりかねない。
社会学者の割りに、子と親、それぞれの時期・段階における社会性と望ましい在り方
について言及していないんですね。
話し自体に幼児性が残っている・・・。
これは、話をシンプルに考えようという、読者や母親や社会を小ばかににしたような、
ロジックのレベルに達していないもの。
時々失言する、彼独特の感覚・感性のなせる業、と一応大目に見ておきましょう。
まだ、この書が始まったばかりなので・・・。
次回は、<「べビーシッター」を使ったらダメですか>
です。
-------------------------------
このブログサイト<世代通信.net>のカテゴリーのひとつに
【保活・保育】カテゴリーがあります。
折々の関連する話題・ニュースなどを交え、保活や待機児童問題や施設・
保育士問題などを軸にして取り上げてきています。
そこで関係図書を紹介しながらのブログシリーズでまず手掛けたのが
『「子育て」という政治』。
昨年2015年10月に、『「子育て」という政治』からとして9回投稿。
次が『ルポ 保育崩壊』。
このブログシリーズは現在も継続中で、以下で通算21回目。
◆待機児童問題解決に必要な子育て・保育行政の改革:『ルポ 保育崩壊』<共働き時代の保育>から(8)
そして、第3弾の『保育園義務教育化』に入っています。