究極の終活を考えてみます。ご存知ですか「0葬」:『0葬-あっさり死ぬ』から(1)
『0葬 ――あっさり死ぬ』。
(島田裕已氏著・2014/1/29刊。文庫版2016/1/20刊 )
何とも変わったタイトルの書です。
このブログサイトのカテゴリーのひとつ、<終活>について、じっくり掘り下げて
考えてみるとすると、やはり、葬儀・葬式に行き着くと思います。
そこでこの『0葬』を参考にして、種々の観点から、自由に考えてみることにします。
「はじめに」から、はじめます。
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はじめに (1)
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死者とともに生きる必要は、もうない。
少し前まで、私たちは死者とともに生きてきた。
というのも、死者は私たちと同居していたからである。
もちろん、今でも死者とともに生きている人たちはいる。
けれども、しだいに多くの人たちは、死者と同居し、死者とともに生きることを
望まなくなってきた。
地方の実家を考えてみるといい。
そこには「仏間」と呼ばれる部屋があり、家内には大きな仏壇が飾られている。
仏壇は本来、仏壇を安置する場所であるはずなのだが、仏間にある仏壇の主役は
位牌である。位牌には個人の戒名が記されている。
仏壇に故人の遺骨や遺灰が納められているわけではない。
だが、普段仏間で生活しているお年寄りは、仏壇に死者がいると考え、それに向
かって手を合わせてきた。
お年寄り以外のの家族も、一年に一度めぐってくる祥月命日や月一度の月命日な
どには手を合わせる。
仏壇だけではない。
家族が集まる座敷には、先祖の写真が額に入って飾られている。
そこには、実際にともに生活し、その顔を覚えている先祖もいるが、生活した経
験もない先祖も多く含まれている。
年寄りからは、折に触れて、その先祖の話を聞かされる。
実家の家の中には死者があふれ、その数は、生きて生活してしている者の数より
も多い。先祖は、その働きを通して、家を支える役割を果たしてきた。
そうした功績があるからこそ、仏壇の位牌として、あるいは座敷の写真として生
き続け、子孫はその存在を忘れることがなかった。
忘れられないようになっているとも言える。
しかし、それは地方のことであり、今、都会に住む人々の家には、仏間などはあ
りえない。仏壇さえ祀らない家が増えている。リビングに先祖の写真を飾っている
家などもない。
それも、一つには、都会の家がまだ生まれてから新しく、それほど多くの祖先を
持っていないからである。まだ祖先と呼べるような死者が生まれていない家もある。
都会では、家の面積が小さくなったことも、仏間や仏壇を置くスペースなくすこ
とつながっている。年寄りも、仏間にこもるのではなく、老人ホームに入居する。
かくして、今の都会の家からは死者が姿を消した。そこに生活するのは、生きて
いる者たちだけである。
襖もなく、長押もない都会の家では、高いところに写真を飾っておくスペースも
ない。かといって、海外の家庭で行われているように、飾り棚やチェストの上に写
真立てに納められた写真を飾っておく慣習も、それほど広まってはいない。
仏壇を置かなければ、都会の家には死者が生きる場所はない。
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文章にあるような場所・場面に、自分の身を置いたことがある人は、どの程度いる
でしょうか。
団塊の世代の私の記憶には、次男で家を出ていた父親の実家や、友人宅での体験が
残っています。
自分の家には仏壇があり、早く亡くなった長男・長女、私にとっての兄・姉の位牌
に毎日手を合わせ、時にお経を上げていた父の姿がよみがえります。
お墓には、その兄・姉だけが葬られていたわけですが、一度も姿・形を見たことが
なかったため、無論、お盆の時期には行っていた墓参り自体を、さほど強く意識し
たことはありませんでした。
祖先の墓は、実家の方でしたから、あまり頻繁に行き来する必要もなく、そちらの
方にお墓参りに行くことは、小さい頃は何となく強く行くように言われ従いました
が、成長するに従い、両親も、しつこく言うことはなくなりました。
そして今、自分の実家から遠く離れた地に住む私は、父母が眠るお墓に、お盆にさ
えお参りに帰ることもほとんどない状態です。
それは、自分の墓を必要ないと考え、自分の子どもたちに、墓を建てる必要も、(
当然、ない墓はお参りできませんが)お参りする必要もないと伝えることを意味し
ます。
さて「0葬」とは?
葬儀・葬式が0、すなわち、やらない、ということです。
宗教学者であるこの書の著者・島田裕已氏が初めて用いたことば。
終活の軸と言える葬儀・葬式について、その歴史や疑問などをまじえ、考えていく
ことになります。
次回は、上記の文章の続きです。
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どちらをシリーズ化しようかと迷った、同じ島田裕已氏著の
『葬式は、要らない』(2010/1/28刊)
もできればお読み頂きたいと思います。
(『0葬』の方は、このブログで見ていきますので。)
また、同氏の新刊
『もう親を捨てるしかない 介護・葬式・遺産は、要らない』(2016/5/28刊)
は、別にブログサイト<介護相談.net>の方で、シリーズ化して用いて
います。